「職人の手による美しいモノ」を作りたい

「職人の手による美しいモノ」を作りたい

「ボーデッサン」というカバンのブランドをご存知でしょうか? バッグ業界のファクトリーブランドとして知る人ぞ知る存在。その妥協を許さないモノ作りから生まれるカバンは、独自のオーラを放っていて、熱狂的なファンも多いのです。職人さんたちを束ねるディレクターの生嶋時彦さんに、その真髄を伺いました。

「美しいデザイン」の先にあるもの

「美しいデザイン」の先にあるもの

ブランド名の「BEAU DESSIN(ボーデッサン)」は美しいデザインを意味するフランス語です。ただ、僕自身は、その後に続く「AUX ARTISANS(オー アルチザン)」という言葉を大事にしています。それは「職人の手による美しいもの」であり、プロの職人が表現する、人の手が加わった美しいモノを作りたいという思いが込められているのです。
これは、画家でグラフィックデザイナーの永井健司さんにつけていただいたネーミングです。永井さんはお亡くなりになるまで、ずっといろいろなことを教えていただいた恩人でした。
本当にいい素材をプロである職人の手であっさりと表現したい。バッグが主張するのではなく、持つ人のライフスタイルや知性を応援するような、シンプルで洒落たものを作りたいと思ってきました。
ただメイド・イン・ジャパンの職人気質を大事にするという意味ではなく、さらっとしてセンスある洒落たものを革で表現したいという思いの元、カバン作りをしてきました。

職人との繋がりが喜び

職人との繋がりが喜び

オーナーは営業出身で、モノ作りに精通しているわけではありません。僕も素人でしたから、二人三脚で働きながら、いろんな職人さんの力を借りてきました。創業から10年めに「年配の方が増えるばかりで、このままでは職人がいなくなる」と危惧し、親方をスカウトして埼玉県草加市にアトリエを作りました。月謝もらうわけでなく、給料を払って若い人を育ててきました。プロになって独立し、今もうちの仕事をやってくれる職人が多くいます。そこには女性も。結婚を機に退職したけれど、子供の手が離れたら、復帰してね。そういう繋がりが続いていることが、すごくうれしい。カバンは靴と違って、分業制ではありません。ミシンと革梳き機があれば4畳半のスペースで仕事できるという強みがあります。

ヨーロッパの高級店に置かれても大丈夫か妄想

ヨーロッパの高級店に置かれても大丈夫か妄想

30数年前ですが、業界の先輩に声をかけてもらって、イタリアとフランスの視察にくっついて行きました。インターネットもなく、現地に足を運ばなければ何もわからない時代でした。『なるほど!ザ・ワールド』さながらに、10メートル歩くごとに「はい、ここで問題です」といわれるような感じで、刺激を受けました。文化、食、考え方の違い。中でもいちばんびっくりしたのは、問屋がないことでした。作り手イコールブランドであり、自分たちで発信していました。そこは家族経営だろうと、ある程度の規模があろうと同じです。日本の流通につきものだった問屋ってなんだろうと素朴な疑問を感じたのです。そこで、自分たちのブランドを作ろう、本当の意味でファクトリーブランドをやろうと決めました。

そこからはずっと、年に2度ヨーロッパ視察です。イタリアのミラノ、フィレンツェ、ボローニャの3都市には必ず訪れます。ナポリやローマにはたまに足を伸ばします。ここにパリを加えた旅程が定番です。なぜパリかというと、イタリアはしつこいんですよ。大人のファッションの国で、ミセスはヒョウ柄の洋服を着ますし、男はビシッとスーツで決めています。その姿ばかりを見ていると、お腹がいっぱいになってしまって。パリに行くと、その力が抜けて、自分をリセットして帰ってこられるのです。

どの街でも、世界のお金持ちファッションリーダーの買い物をするエリアやショップに立ち寄ります。妄想で「うちのバッグがあの棚にあれば恥ずかしいか? いやそうでもない」とか、「負けているのか? いや、決して負けていない」という通信簿をつけます。飛行機に乗ると、客観的に自分の考えていることや、会社の作業を振り返ることができます。自分にとってその時間はとても大事で、毎年しつこいイタリアと、さっぱりしたパリを訪れるのです。

ナイロン素材で知られるリモンタ社とも信頼関係が

ナイロン素材で知られるリモンタ社とも信頼関係が

ナイロン生地で有名なリモンタ社とも、その過程で信頼関係ができました。高い生地でしたが、お得意先に銀座の和光さんがいて、なんとかオーダーできるようになったのです。20年ほど前より、チェレスティーノという現場のリーダーが私のことを可愛がってくれました。「こんな小さな会社のわがまま聞いてくれてありがとう」というと「お前のところで儲けようと思っていない。何十万メートルと買ってくれるお客さんはほかにいるから、生嶋にそんなことは期待していないよ、気にするな」と笑うのです。本当に助けてもらっています。三角のプレートをつけたプラダのナイロンバッグが日本でも出回り始めた頃でしょうか。当時は高級路線の生地ばかりではなく、カジュアルなものもあり、面白いサンプルがありました。現在ボーデッサンで使うベースとなるシルバー生地もシャネルが使っています。その生地をそのまま使っても面白くないので、「これにプリントできますか?」と尋ねると、「できるからアイデアを持ってこい」と。結果、僕がヨーロッパの街中で撮った壁の写真をプリントしてもらいました。信頼関係というと対等みたいですけれど、実際のところは「可愛がっていただいてありがとうございます」。ですから、素材が日本に着いたらすぐに銀行に行きます。買った分はきちんとすぐにお支払いしないとね(笑)。

困った時に夜なべしてくれる職人が財産

困った時に夜なべしてくれる職人が財産

ボーデッサンのバッグは、ロゴが前に出ているわけではありませんし、コマーシャルもしていません。「うちの匂い」を感じて購入してくれる人がいることが励みになっています。でも、「若い職人も抱えているのだから、喜んでばかりいないで、もっと商売にしなければダメじゃないか」と心配してくれる人はたくさんいます。「いつまで屋台を引っ張って商売している気だ」とね。「いや、最近は電動式にしました」と軽口を叩きますが、屋台は屋台です(笑)。
我々の規模感だから、今のモノ作りができている側面はあります。僕の仕事は、作り手にその気になってもらうことが最初。それは金具、素材の生地、裏地一つとっても、「生嶋がこんなこといっているから、なんとか作ってやろう、なんとかしてやろう」という気持ちに支えられています。困った時に何人もの職人さんが夜なべしてくれることが、僕の唯一の財産です。その上で、売り手の人が「よし、これを売ってやろう」と思ってもらえる商品を作ること。これを会社としてどうやって継承していくのかが、目下最大の悩みですね。

チャーリーも嫉妬したバッグとは

チャーリーも嫉妬したバッグとは

チャーリーとの出会いは、パリでした。左岸6区にある場末のバーで飲んでいた時です。僕はクラッターシリーズの482番という、ボーデッサンの永久欠番のようなショルダーバッグをお供にしていました。サイズ感、ボリューム感とも、考え抜いて作り上げた自信作です。
それを見たチャーリーが「なんだこのカバンは! どこで買えるんだ?」と声をかけてきたのです。「いや、これは僕が作っているカバンなんだ」という形で会話が始まったのです。
写真をご覧になっていただけるとわかると思いますが、幅の広いストラップに、それだけで一個のカバンができそうなほどたっぷりと革を使っています。ナチュラルレザーなので、使うほどに味が出るのもポイント。
チャーリーとは感性が合ったのでしょう。僕のカバンを見てワクワクしてくれているのが伝わってきました。同時に「こんなカバンを作れる奴って、なんなんだ」という嫉妬心のようなものを感じました。それは、僕がヨーロッパの街中で、ときどき打ちのめされる気持ちと一緒なのかなと。
そんな幸運な出会いがあって、チャーリーから、「僕が惚れたボーデッサンの世界をぜひ紹介したい」というオファーを受け、紹介していただけることになったのです。
<後編へ続く>

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生嶋時彦

PROFILE

生嶋時彦(いくしまときひこ)/バッグブランド「ボーデッサン」デザイナー兼ディレクター。1957年京都府生まれ。全寮制の商船高等専門学校を卒業後、1979年に遠い親戚が立ち上げた「ボーデッサン」に参加する。職人の手によるモノづくりを標榜し、独自のプロダクトを実現すべく38年間にわたって奔走。その姿勢に共感する作り手、売り手、買い手というすべてのジャンルにおいて熱狂的なファンが多い。

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